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Unshoes(暫定一位)
ここのところ、チェコ共和国は寒くなったり暑くなったりしております。精神状態が天候に大きく影響される「環境依存性パーソナリティ症候群(造語)」であるところの僕も、ハイになってウィキペディアを読みまくったりローになって「老人と海」を何度も何度も読み返したりしています。……どちらにしても活性が低いですね。


とはいえ、日課であるサンダルでのジョギングはあいかわらず続けています。忙しかったり天気が悪かったりして距離はあまり伸ばせていませんが、1年近くサンダルで走り続けている事になります。

思えば、色々な発見がありましたよ。


まずね、最近になってようやく「足裏のアーチ」の存在を確認出来ました。伝え聞くところでは、足の踵・親指の付け根・小指の付け根を支点として3つのアーチが足にはあり、それがうまく働くことで歩行の衝撃を吸収しているらしいのですが、そんなものは都市伝説かなにかだと思うくらい「足裏アーチ」を感じたことが無かったんです。少なくとも、僕の人生は「足裏アーチ」に支えられたことなど無かった。一人で立って生きてきた。そう思ってました。

それが、薄いサンダルを履き続け、歩いていた時にふと「あれ、これってもしかして」という感じで3つのアーチを自覚してしまったんです。きみ、そこでずっと僕を支えてくれていたのかい?

ブルース・リーが「Don't think, feel!」と言っていましたが、まさにそんな感じです。ただ、これも右足だけのことで、左足のアーチは未だ姿をあらわしてくれません。シャイなんでしょうね。左足は膝の痛みがある方なんですが、アーチの弱さと関係ありそうです。

右足のアーチを感じて以来、あしゆびのグーチョキパーなども毎日やっていまして、今ではずいぶん動くようになりました。やはり左足はちょっと動きが渋いですけど。足裏の筋肉はびっくりするほど弱かったんだと思います。


そんな感じでサンダル生活を楽しんでいるわけですが、持っているサンダルには不満がありました。


持っているサンダルは「ルナサンダルmono」と「Xeroshoes 4mm connect」だったのですが、どちらも一長一短あるのです。「長」がある分にはいいんですが、「短」があるとちょっと困ります。

ルナサンダルの方は脱ぎ履きしやすいのですが、底が厚い分だけ裸足感覚とは程遠い。ダートにはいいんですが。一方のXeroshoesは4mmという薄さゆえのフィット感と裸足であるいているような感覚は最高なんですが、毎回紐を締める必要があり面倒。という感じです。日常生活ではダートを歩くことなどほとんどありませんのでXeroshoesだけで過ごせるわけですが、生活の中では脱ぎ履きも結構多いものです。

ルナサンダルの「履きやすさ」とXeroshoesの「接地感」を満たすサンダルはないものか。4mm厚のサンダルってあまり売っていないんですよね。。。と色々探した結果、「Unshoes」というブランドで4mm厚の薄型サンダルを作っていることがわかりました。

というわけで、早速購入です。

IMG 4870
届いたものがこちら。封筒にサンダルが入っているだけ。袋の中に商品だけ。当たり前のようですが、並の企業なら広告やらなんやら変な冊子くらいは入れてくるものですよ。ナメた企業になると、商品よりもはるかに大きな梱包材やら広告をぶち込んできやがります。こういう姿勢は素晴らしいです。シンプルな空即是色ですなあ。

ただ、サンダルの値段が45ドル、送料が20ドルほど、そしてなぜかチェコの郵便局で止められやっと配達されたかと思えばよくわからない500CZK(25ドル位?)を請求され、結局、僕はこの色即是空空即是色に一万円近くも払ってしまったという現実が横たわっているわけですが。。。

そういうネガティブな情報は脳でうまく処理して忘れることにします。現実を変えられないのなら認識を変えればいいのです。

IMG 4874
裏面のパターンをXeroshoesと比較。右がUnshoes wakova feather。重さはXeroshoesより軽く厚みは同じ4mmですが、パターンと質感が違います。Unshoesはちょっと硬いです。なんというか、Xeroshoesは柔らかく粘りがあります。

IMG 4876
履いてみたのがこちら。あいかわらず汚い足ですが、人が言われて嫌だと思うことは考えることすら許しません。美脚だと思いましょう。

さっそく履いて歩いてみます。……あーうんうん。ほうほう。へー。ダメだこれ。


なんて言うんでしょう。このサンダルは一本の紐で締め付ける仕組みになっているんですが、それが足の至るところに干渉するんです。フィット感が足りないので締め付けても土踏まずの辺りが緩いし、締め付けると足の人差し指に力がかかって痛いし、かといって緩いままだとビーチサンダル並みのルーズ感。これに90ドルも払ってしまった僕の心は諸行無常の響きありですよ。まあ、人によって好みはあると思いますが。


とはいえ、こんなことで諦めるわけにはいかない!90ドルもあれば何人のアフリカの子どもたちが救えるのだ!関係ないけど!というわけで紐の結び方を工夫してみました。

IMG 4884
こんな感じ。

IMG 4882
履くとこんな感じ。美脚だと思いましょう。

このストラップの巻き方、すごくいい!フィット感が素晴らしい!

今風にいうと普通にいいです!でもそれだと「普通」なのか「良い」なのかよくわかりません。僕には「普通」と「良い」と「普通に良い」の違いが良くわからないのです。現代人が共有する観念を理解していないのです。悲しいです。そういうわけで、このサンダル、すごくいいです。最高です。


ルナサンダル以上の完璧なフィット感にXeroshoesに迫る接地感(履き始めて10日ほどの段階では、接地感はXeroshoesが100点だとすると90点くらいでしょうか)。ルナサンダルとXeroshoesの利点を兼ね備えたサンダルになりました。今ではほとんど毎日こればかり履いています。興味がある方はぜひ。unshoes。お勧めです。
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Tattoo
時々、チェコ人の友人たちに「漢字タトゥー」の文字選びを頼まれます。最近も2人に漢字を選んであげました。


チェコ人にとっては漢字はなにかしらクールなものらしく、その2人以外にも漢字のタトゥーを入れている人をちょこちょこ見かけます。どうせ漢字なんて読めないのになんで漢字なんだろう?とは思いますが、彼らにとっては漢字は絵か模様にしか見えず、「その模様それぞれに意味があるなんてカッケー!!」ということだと思います。

そういう意味では、アニメキャラに人格を見出してしまい「◯◯は俺の嫁!」などと意味不明な供述をしてしまう大きなおともだちと似た心理であると言えるわけで、大きなおともだちもチェコ人のようにアニメキャラのタトゥーを入れてみるといいんじゃないかと思います。


この間頼まれたのは結構大変でした。「"impossible is nothing"の日本語訳」です。シンプルなこと山のごとしな言葉なわけですが、漢字にしようと思うと、どうしてこれがなかなか難しい。

調べてみるとモハメド・アリの言葉らしいのですが、「nothing is impossible(不可能なことなどなにもない)」ではないのがポイントです。「impossible is nothing(「不可能」はない)」なんです。アディダスの広告でもこの言葉が使われていたようなんですが、そこでは「不可能なんて、ありえない」となっていました。

うまい日本語を選んだものだなと思いますが、「ありえない」だけでは伝わらないニュアンスもあるように思います。もちろん「不可能なことなんてなにもない」という意味も含んでいるかもしれませんが、どちらかというと「"不可能"なんてものを語ることに意味は無い」という感じかなあ。


こういう概念って新しいものだからなのか、これをそのままあらわす熟語とかことわざってないものなんですね。

「nothing is impossible」なら、「精神一到」とか「磨斧作針」みたいな言葉がピッタリなんですが、これらの言葉にはやはり「努力」のイメージが重なるんです。頑張れば望みは叶うよ、みたいな。成功したいだろ?じゃあ努力しようや、みたいな。五体不満足の乙武さんに「頑張ってスーパーモデル目指そうぜ!夢は必ず叶うさ!」みたいな、ある意味、個人の特性や能力差を無視して努力を促してしまうような強い言葉なんです。

一方「impossible is nothing」はむしろ、「今そこにある行動」に焦点をあてているように思えます。「スーパーモデルになれるかどうか、そんなこと考えてもしょうがないよ。さあ、モデル歩きから始めてみようか。立つんだ、乙武くん!」みたいな。よくわかんないけど。

強いて言うなら「勇猛邁進」みたいな言葉が近い気もしますが、言葉を見たときにイメージするものは違ってしまいます。


やっぱり、タトゥーってのは一生を共にするものですから、いったん引き受けた以上、いい加減な言葉を選ぶわけには行きません。

僕の中の小悪魔agehaが、『どうせ何書いたってわからねーんだから「大好きです、セーラージュピター」とか「ひとりでプリキュア」とか「ボンバイエはじめました」みたいな邪悪な言葉を適当に彫り込ませちまえよ。な?面白いだろ?』などとささやいてきましたが、さすがにそれはマズイです。面白そうだけど。それを見て困惑する日本人同胞の顔を見てみたいけど。


結局、彼と話し合って「精神一到」に落ち着いたわけですが、この言葉ならば日本人から見ても、たぶん中国人や台湾人から見ても悪くないんじゃないでしょうか。「nothing is impossible」的な言葉になってしまいますが。フォントや大きさも何種類も作って画像ファイルにしてあげましたよ。


Seisinitto
こんな感じのを何パターンも作りました。


僕には書道の素養が皆無なので、macにあらかじめ入っているフォントしか使えませんでしたが、書道が得意な人は書き下ろしてあげることもできるでしょうね。

カウンセリングして漢字を選び出力をしてあげるのは、結構いい商売になるんじゃないかと思います。言葉を選んだあと、お試しタトゥーシールみたいなものを作ってあげれば客も喜ぶと思います。


もし僕がタトゥーを入れるなら、やっぱり座右の銘である「人見るもよし、見ざるもよし、我は咲くなり」かなあ。まあ、心に刻んでいるのでタトゥーは必要ないんですけどね(ドヤッ)。


般若心経全文を小さなフォントでクレジットカードくらいの大きさに彫り込むのもいいかもしれません。その場合、もっともリズミカルでロックスピリッツあふれるパートである「掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦」の部分は赤にするなどしてオシャレごころを発揮したいところです。心霊現象に悩んでいるあなた、あるいは耳なし芳一をカジュアルに体現したいあなた、ぜひお試しください。「あの人がくると場の空気が変わるわよね」なんて評判とともに好感度アップまちがいなしです。

両足の付け根に「あなたがこれを読んでいるということは、僕は今すごい格好をしているのでしょうね」みたいなtattooを彫ってステキな驚きを演出するのもいいかもしれません。大切なあの人へのサプライズにいかがですか。


まあそんな感じで、タトゥーで入れる文字にお困りのあなた、ぜひご相談ください。
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手づかみ、フォーク、箸
技術ってのは突き詰めると道具の差だと思うんですよね。


作業工程でどんな「道具」を使えるかで、出来上がってくる「モノ」のレベルが変わります。僕が愛用するレザーマンウェーブは優れた道具ですけど、それだけで宇宙船は作れません。宇宙船を作るためには、ありとあらゆる最新機器や知識を「道具」として駆使する必要があるでしょう。


「どんな持ち物を使えるか」が「モノのカタチ」に大きな影響を与えていると言えます。


これは工業製品だけではなくて、「人間のカタチ」も同じだと思います。使う道具によって体型も変わるかもしれません。

アジア圏では食事に箸を使います。これで巨大なステーキを切り分けて食べるのはほぼ不可能です。ですので、アジア圏ではほとんどの食事は、箸で食べることができるようなサイズにあらかじめ厨房でカットされています。あるいは豆腐のように、箸で簡単に分割できるように柔らかく調理されています。大量にたべるためには、何度も箸を口に運ばなければなりません。自然と食べる量も制限されるはずです。

一方、ヨーロッパ圏では食事にナイフとフォークを使います。巨大な肉の塊もガンガン切り分けて食べ進めることができます。それとは逆に、これで細かくカットされた野菜炒めを食べようと思うと結構大変です。厨房では細かく食材を切り分ける必要がなく、多くの食べ物はある程度の大きさで提供されます。

アメリカやメキシコだと、ハンバーガー、ピザ、タコスなど、手づかみで食べる食事が多く受け入れられています。ナイフも箸も使う必要がありませんので、思いのままに口に放り込むことができるわけです。

アメリカに肥満の人が多く、アジアでは少ないのはそういう理由もあるんじゃないかと思うんですよね。


厨房での調理にかかる手間が増えるということは、調理人が技能を習得するまでの時間も変わってくるでしょうし、そのような人材のトレーニングにかかる経費も変わってくるでしょう。

また、日本人は包丁のキレ味に大変なこだわりがあると言われます。実に様々な種類の刃物が流通していますが、これも箸文化と関係があるんじゃないかと思います。日本では厨房で全ての食材がカットされるわけですから、「プロの要求に答える道具」として刃物が発達してきたんだと思います。魚の身のように柔らかく繊細な食材を処理する必要性も刃物の発達に影響を与えたことでしょう。


まあとにかく、どのような道具を選ぶかで物の形が変わり、それをきっかけにしてドミノ倒しのように社会の色々なものの在り方が変わっていくんじゃないかと思うんです。



個人にとっても、「何を持ち何を持たないか」はとても重要です。自分が想像する以上に、自分の見た目、行動、運命は「持ち物」の影響を受けているはずです。

僕の場合、行動も思想もできるかぎり自由でありたいので、最大限に信頼できる少数のモノで身軽に。
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